「お師匠が膝を痛められたんで、こん人に運んでもらったんです」
レンが状況を簡単に説明する…まさに、これくらいしかないと言うほど簡略化して。それに釣られて笑みを深くするフィリス先生…あまり、歓迎したくない類の笑みだ。
「へぇ、今度は何をしたのかな?恭也君」
…テーピングの指導を始めとして、ここ数ヶ月、自分の膝の治療を担当してくれているフィリス先生。その技量は確かなもので、一生、ついて回ると思っていた膝の障害が軽くなってきているのを顕著に感じられる。
…ただ、そのせいで今まで以上に稽古に熱がこもり。膝に負担をかけてしまったことが過去に何度かあり…そのたび、フィリス先生からはきつい制裁を与えられている。
ちなみに、最近で一番きつかったのは、わざわざ家にまで押しかけてきて、自分がどんな無茶をしたのか、膝の治療がどれだけ遅れるかを一番下の妹にとくとくと説明してくれた。
…おかげで、それからフィリス先生から訓練再開の許可が下りるまでは、少しでも訓練らしきことをしようものなら、その妹の前に正座させられて説教されるはめになってしまった…
その際のフィリス先生の言葉が「次、また同じことしたら、今度はフィアッセと桃子さんにも聞いてもらいます」…弱み所を突いた策略だ…
「て言うか、恭也君が大人しく抱かれてることのほうが驚きなんですが…歩けないほど痛めたんですか?」
ふっと、撫でるように膝に触れるフィリス…それだけで、違和感と言うか、不快感が膝を抜け…見る間にフィリスの顔つきが険しくなる。
「恭也君…あなた、今度はどんな無茶したんですか! 前のときよりも酷い…あなたの膝がどんな爆弾を抱えてるか、ちゃんと説明したじゃないですか!」
…膝の現状を理解したようだ…それも、おそらくは推測ではなく確信で。
「…大丈夫ですよ、それでも、昔に比べれば…」
「恭也君!!!」
フィリス先生の、きつい…心配を伴った声。これほど狼狽する姿は初めてかもしれない。
自分自身、僅かに動いただけで違和感と痛みを伴う膝の異常を感じてはいたが…なるほど、思っていた以上に重症のようだ。
それでも…悔いるわけにはいかない。
この膝は。子供を護るために使った…
護るために振るわれる御神の剣…なれば
「大丈夫ですよ…必ず治ります」
そう、言い切れる。
でなければ、護る剣に意味も無く
ドサッ
何かが落ちる音
「ハヤテ!」
身が振り回される…フィリス先生のほうに向けられていた身が、突然逆方向…青ざめた顔でこちらを見上げる、女の子に向けられる。
病棟の廊下に倒れ付し、震える少女。
「うちの…せい?」
その悲痛な呟きに、自身の軽率な発言を悔いる。
自分が助けた女の子。助ける時、膝に負担をかけてしまった。けれどそれだけのこと…
弱かったのは自分、少女と膝、両方とも助けられなかったのも自分。
だから、何も気にすることは無い…
「違う…」
けれど、口のうまくない自分に。上手な言い方などできるはずが無く。
「……お師匠…あの子を助けるために…無茶を」
「あ…」
事情を察したフィリスが、自分の発言を悔い。
「…俺は、正しいことをした」
ただ真剣に、女の子に言い切った。
それが伝わるとは思わない…けれど、自分の中で生まれた一番正直な言葉を口にすることが、ただ…そう。正しいことに思えた
「俺は正しいことをした…だから、何も気にすることは無い」
冷たい廊下に伏すようにして震える少女…その姿を眼にすることのほうが、膝などよりも遥かに苦しく。
「と、とりあえず、恭也君を私の研究室に…精密検査と、後は…」
「と、とりあえずフィリス先生さんの研究室に」
狼狽するフィリスとレン、ただ…恭也を抱く女は、周りよりも…見る影も無く悲観にくれる、ハヤテにだけ哀哭し。
「ハヤテ…私の背に、捕まれるか?」
震える姿からは、そんな気力はありそうもない…再び、腕の力だけで女に捕まるのは不可能に見え。
ふと、恭也を見るシグナム
「…………」
彼女の沈黙の意味を察する…自分が彼女の首に捕まれば、彼女は大切な身内を抱え上げることができる。女の子は足が満足に動かぬ様子だ、自分のほうがまだ…
「失礼する」
彼女の肩に手を添え、背に回りこむように動く…彼女は、安堵したような雰囲気を見せ
「動かんといてください」
女の子の叫びに身が強張った…
「あ…膝の怪我、普通じゃないんや、ですよね?…動かんといてください、シグナムが、ちゃんと…診てもらえる場所まで運んでくれます」
青ざめた顔で、震えた声で、そう口にする。
満足に動かぬ下半身を冷たい廊下に投げ出し。青ざめた顔と震える唇の女の子は、女…シグナムに、自身よりも身に抱く者を優先しろと、その気配で訴え。
「うちは、ここで待ってる。シグナム…そん人を、早く先生の研究室に連れてって」
震えた眼で、けれど言い切る女の子…強いと言い切れる。なのはくらいの歳で。
「しかし、ハヤテ…」
「ええから!」
震える小さな身体から出されたとは思えない叫び声。
廊下を這うようにして、壁にもたれかかる女の子は動こうとした恭也を責めるように…眼を潤ませて見上げ。
「早よ、診てもらってください」
フィリスと恭也に訴えかける、シグナムは主の命とその安全、どちらを優先すべきか…それを苦痛と共に決断する。
自身の膂力ならば青年とハヤテ、双方を片手ずつで抱え上げることも容易い…が、僅かでも青年の膝に負担をかけること。今の体勢から青年を動かすことをハヤテは許しはしない
急ぎ送り届ける…間、魔力による探査でハヤテの身の安全を確保する
探査魔法は得手とは言えず、魔力の隠匿も仲間内では劣る…敵対者、時空管理局などに守護者の存在を知らしめる事になるやも知れないが…それでも、決断した。
「ではハヤテ、少々…」
「いよっとな」
少女の掛け声…と共に、ハヤテの身が浮き
「あぁ、あかん、フィリス先生さん、手伝ってくれますか」
「あ、うん」
へこたれそうになった所をフィリスが補って、ハヤテの身を二人がかりで持ち上げる、両脇からを肩を貸す体勢で…小さなハヤテの身とは言え、見て明らかに小柄な2人には重そうだ。
「何や、話聞いてたら、うちらがこん子運べばよさそうなんで」
「うちは…だ、大丈夫です、それよりそん人を早う」
「ん〜、言うても、ついさっき事故に会うたばかりの子、一人置いてくんは、そっちのお姉さんにとっても、うちのお師匠にとってもきつそうですしなぁ」
話しながらも歩き出す少女、フィリスもそれに合わせて動き…その後を、シグナムが追う
ハヤテの意思を尊重し、僅かな身の揺らぎすらも抑えながら。
「すなない」
「ああ、ええんです。何やお姉さん、うちのお師匠並に頑固そうだったんで。お師匠にようやるやり方させてもらいました」
「あ〜。恭也君となのはちゃんだったら、同じ事言いそう…」
「あ、あの…」
状況の変化に困惑するハヤテ。腕の中の青年が不満そうに呻くが、心当たりがあるのかそのまま黙り込む
まさに、ハヤテに有無を言わせず歩む2人は慣れた道なのかどんどんと進む
ただ、ハヤテと似た語調の少女は、僅かに呼気を乱している、病院に慣れた様子でその姿には嫌な想像も沸く。
…が、口にしたときのハヤテの姿が想像でき
「すまない、君の連れに無理をさせているようだ」
小声で青年に告げる、多少驚いた様子を見せるが
「大丈夫ですよ、もうすぐそこです」
(まったく、ひどい者だ、主を護るという大儀を優先し、見知らぬ他人に負担を強いる)
…もっとも、その感情すら、今の主の下で無ければ生まれ得なかったろう
「はい、入りますよ」
フィリスが扉を開けて研究室へはいっていく。その後を追って中に入り
「レンちゃん、ハヤテちゃんをそこの椅子に」
「はい」
「で、恭也君はそっちのベッド」
研究室…と言うには、居心地のよさそうな雰囲気。診療に不可欠なものは無論有り。後は…何と言うか、この医師の顕れのようで
横たわる青年。恭也は…諦めたのか、そのまま身を横たえる
「よし」
それを確認したフィリスは、すぐに動き出す
…真っ先に、ハヤテの四肢を確認するように触り
「うちは、ええですから…」
「ごめんなさいね、でも…みんな、何よりハヤテちゃんが心配なようなの」
傷を負った青年も、その連れの少女も、旧知の医師も…そして。その騎士も
誰も、それに意を挟むことなどしない。
「でも、大丈夫そう」
故に、フィリスのその言葉に安堵する…恭也すら、息を吐き
「で、恭也君の番ね」
「…お手柔らかに……」
「フィリス先生に任せなさい」
怯えるように身を竦める恭也、胸を張って指をわきわきと動かすフィリス。
緩和した空気の中で…いや、ハヤテに緩和したと感じさせる空気の中で。恭也とフィリスが向き合う。
それは、きっと…深刻な話題を避けようとして…
「ハヤテ!」
故に
その身を
抱き上げて
その、病室を出た
「し…シグナム?何や…何を急に」
病室の扉を閉め、追われぬうちに走る…抱き上げた主の抵抗を、無視して走る。
突然の私の逃亡にフィリスも、青年等も戸惑った様子。ハヤテも非難の様子で見上げてくる…
…それらを無視し。ようやく、誰にも見られぬ場所、個室に飛び込む
フィリスや恭也、レンが自分の行動をどう思おうと…
「…シャマルを呼んでください」
今は、優先すべきことがある。
「何や、何を」
「あの青年は重傷を負いました。治らないかもしれません」
それは…既に。一生癒えぬ傷を負ったハヤテにとって…痛恨の。断言
眼に見えて青ざめるハヤテに、だから告げる
「シャマルは、治療魔法を得意とします。呪や魔を介さない物理的損傷ならば。癒せます、検査を受け、重症と認定されてからでは不都合が生じます、拙速、シャマルの召還を…我等が主ならば、出来ます」
幾度試そうと、自分達の力でハヤテの足を癒す事は出来なかった…それは、仕方なき事。
闇の書の守護騎士である存在に、闇の書を超える力などない。
故に、シャマルの治療魔法はハヤテには効かなかった。
けれど…シャマルの治療魔法は、本来は一級と言って遜色無い技量。魔力。
…病魔すら。時に覆す。
「私は…治療魔法は満足に使えない。ヴィータでも構いません…召還を、我が主」
同時に、念話をシャマルとの間に開く。ハヤテはまだ理解が追いついていない様子だが、今は一刻を惜しむ時。
(シャマル!すぐに動けるか)
(?…何かあったの?…今は…ご近所の方と話してるだけ、動けるけれど)
(すぐに主が緊急召還をかける。動けるようになっておけ)
緊急召還の言で、火急の事態を悟ったようだ。了承の意を確認して、ハヤテを見る…理解は、終えたようで
「うちはどう…」
「闇の書を手元に、表紙に手を添え、守護騎士シャマルを呼んでください」
虚空から装飾のなされた書籍。闇の書…それが突如。ハヤテの手に現れる。
主の意に沿って現れる。我等が基幹…それに手を添え。必死な様子で、ハヤテが叫ぶ
「シャマル!!」
それは儀式。闇の書とその守護騎士は本来同じ存在。常に繋がりが存在する。
そして、書も騎士も、主の命こそがその存在意義。故に、その意のためならば、時空すら駆ける。
…正確には。余所で展開されていたシャマルが一旦、書に回収され、即座に再現されたわけだが。そんな理屈を説明する無駄もなく。
「ハヤテちゃんに何が…って、何でこんな狭いところに」
…個室に文句を言うシャマル。それは仕方のないことだが…
「シャマル!!」
必死の形相のハヤテは止まらない…腕の中から、シャマルの腕を掴み
「シャマル、助けて…あん人、シャマルなら治せるんやよな」
「え?…ええと…」
「私の不注意でハヤテを命の危険にさらした。それを助けた者が、重傷を負った」
個室の鍵を開け、扉を開ける…ぞろぞろと、三人もそこから出てくる様に周りの奇異の視線が集まるが。仕方あるまい…後でシャマルに何とかさせよう
「膝、足が。危ないて」
「膝に傷を残したまま、その膝に負担をかけたようだ…主の意は、分かるだろう」
「はい、すぐに治療します」
先ほど飛び出た道を歩みなおす…検査結果が出た後での治療魔法は、あの青年にも、医師にも理解できない不可思議な現象となる。可能ならば、検査される前に治してしまいたい。
…廊下を小走りに走っていると、眼前には翠がかった髪の少女。何か…私達だろう…を探す様子できょろきょろとあたりを見渡し。
「あ…ええと、シグナムさん達」
こちらを見て取ると安心したように声をかけてくる。
「どしたんです?いきなり飛び出てったんで。フィリス先生もお師匠も心配してましたが」
「連れを待たせていてな…あまり遅くなると心配すると思って連れてきた」
「そですか」
会釈するシャマルと共に歩幅を緩め、早歩きで歩き出す…ハヤテが急かすように見上げるが。着いて歩き出した少女を振り切れば訝しく思われるだろう。
それでも、可能な限りは急ぎフィリスの研究室に足を踏み入れる…先ほどと同じ場所に、青年は座し。
「…フィリス先生は?」
「検査の準備をしてくるそうです」
好都合と言える…シャマルに目配せすると、デバイスであるクラールヴィントを口元に寄せ。
「風のリング、クラールヴィント…癒しの風を運んで」
口元でそっと囁く、僅かに若葉色に色づいた風が静かに青年の膝を包もうとして
「っ…」
青年が急に膝を振る…訝しげにあたりを見渡し。
「お師匠、どないしました…動かしたらあきません」
「いや…妙な感覚が…」
魔法による干渉を察知し、咄嗟に膝を退けたようだ…魔法を知らない一般人にしてはいい勘だが。出来ることなら備わっていてほしくない勘だ。
強制的に治癒の風で包むことは容易いが。効果を高めればそれだけ魔力光が目立つ。全身を包むような治癒効果でははっきりとシャマルの若葉色の魔力光が見えてしまう。
「ああ…」
腕の中のハヤテは青ざめ、シャマルは困った様子で…
「それとお師匠、シグナムさんのお連れさんだそうです、急に居なくなったんは、この人を連れにいってたみたいです」
「あぁ…そうですか」
「あ、はい、シャマルと言います」
互いにぺこりと会釈…意を決した様子でシャマルは青年の膝に手をさし伸ばす
「あぁ…あんま、触らんほうがいいかも知れへんですが」
「あ、いえその…実は私、医療の経験がありまして」
止める少女の言葉を無視して青年の膝を掴む…そのまま直接、魔力の放射…癒しの風を強制的に叩き込む
「っ…?」
再び感じる違和感に青年が膝を見つめるが、シャマルを振り払いはしない…やがて、消えていく鈍痛、不可思議な感覚に目をシャマルに向ける…
魔力は察知されているようだ。無言のままシャマルと…こちらに目を向けてくる。
「も、もう少し診させてくださいね」
膝を見つめたまま目を合わそうとしないシャマル…その頭や手を見ても無駄と考えたか、眼をこちらに向けてくる…絡み合う視線。冷静な…鋭い視線がただ、見てくる。
明らかに膝に何かをしているシャマルをいぶかしむ様子はなく、ただ私達を見通そうと…
こちらとしては、見返すことしか出来ない…心に疚しさがあれば悟られる。故に
「…俺は、正しいことをした…」
先程、ハヤテに語った言葉…膝に負担を強いたことを悔いるハヤテに、気にするなと。そう言った言葉。
言葉と共に目を閉じ、シャマルにされるがままになる…
…気にするなと、言いたかったのだろうか…
やがて、治癒を終えたシャマルが顔を上げる…あからさまに動揺した様子で。
「あ、ええと…だ、大丈夫そうですよ、ね?」
「ええ、痛みはずいぶん引きました…フィリス先生が大袈裟すぎたようです」
「いや、おし…あぁ、そうですか、何や、お師匠も先生も大袈裟ですからなぁ」
否定しようとした少女がハヤテを気にして同意を重ねる
そっと膝を撫でる青年は…顔を上げ、深々とシャマルに頭を下げた
「……ありがとうございました」